2011年12月31日土曜日

2011年大晦日

今年、2011年は、私にとっても最悪の年になりました。

もちろん、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)がその理由です。
この日、私は出張で飛行機に乗っていました。地震は、離陸から約15分後に発生しています。つまり、私は地震の発生を全く知りませんでした。

目的地の空港の上空で、機内アナウンスで「地震発生による空港閉鎖のため、上空で待機する」と知らされました。
正直、この時点で、こんなに大変なことになっているとは思いませんでした。

しばらく待たされたあと、着陸してまずやったことは、ワンセグのスイッチを入れることでした。
私が聞いたこともない、「大津波警報」が太平洋岸の広い地域に発令されていました。

「これはとんでもないことになっている」

そう感じたのはその瞬間です。
しばらくして、会社のスタッフから安否確認の電話がありました。会社関係で直接の被害はありませんでしたが、スタッフが勤務先で一夜を明かす必要があったり、困難はありました。

その後の報道で、この地震の被害がとてつもなく甚大であることを知ります。
しかも、こんな事態になっても政治や行政が100%機能しなかったというのは信じられないことです。100%どころか、本来は200%、300%で動いてもらわなければならない状況でした。

政治的には“収束”した福島第一原子力発電所の事故も、これから何年も影響が続きます。

私たち日本人は、極めて理不尽な災害に直面しましたが、それでも、亡くなった方々の分まで私たちが生きて、日本を再生させるために働いていかなければなりません。

それでは、良いお年をお迎え下さい。

2011/12/31の日没
2011/12/31の日没

2011年12月25日日曜日

EOS 60D出動 12月(6)

今日の現場は水道橋、撮影カット数は約3,000枚でした。
照明条件はベスト。ホリゾントも綺麗に整えられていました。

2011年12月24日土曜日

EOS 60D出動 12月(5)

今日の現場は品川、撮影カット数は約2,600枚でした。
照明条件は厳しいものでした。設備は良いのに、もったいない。
見た目の演出と、撮影用の演出は必ずしも一致しませんが、どちらかに偏ると、どちらかが犠牲になってしまいます。

2011年12月23日金曜日

EOS 60D出動 12月(4)

今日の現場は日比谷、撮影カット数は約1,900枚でした。
照明条件は良好、ただ、せっかくホリゾントがあるのに、うまく生かせないフォーマットだったのが残念。
サブのEOS 40Dで、約100カット撮影しました。

2011年12月18日日曜日

EOS 60D出動 12月(3)

今日の現場は溜池山王、撮影カット数は約1,500枚でした。
照明条件は良好、スモークがばりばりに効いていたので、ストロボでの撮影は難しいのですが、嫌いではありません。

EOS 60D出動 12月(2)

今日の現場は御成門。先週と同じ。撮影カット数は約2,100枚でした。
照明のフォーマット、というか、会場のフォーマットも先週と同じ。
サブのEOS 40Dで約100枚撮影しました。

2011年12月16日金曜日

イタリアのぬこ

泊まっていたイタリアのホテルの玄関にいた猫。

イタリアの猫

2011年12月11日日曜日

EOS 60D出動 12月(1)

今日の現場は御成門、撮影カット数は約3,200枚でした。照明条件はなかなか良好。SUSの色が強いので、赤かぶりが若干気になる。青はそうでもない。
ちなみに、サブのEOS 40で約200枚撮影しました。

2011年12月10日土曜日

皆既月食

さいわい東京は晴れていて、今日の皆既月食がよく見えます。冬の月は天頂付近にあるので、おもいっきり上を見上げる必要がありますが・・・。

2011/12/10 皆既月食

2011年12月5日月曜日

エアドームでの3Dコンテンツ

今日、NICT(独立行政法人 情報通信研究機構)でエアドームのデモを実施してきました。NICTに提示して頂いたコンテンツの中に、太陽と地球の磁気圏のものがありました。これは3Dコンテンツでした。

「エアドームでどの程度見られるのかな?」

と、正直あまり期待していなかったのですが、素晴らしい映像を見ることができました。
エアドームでも3Dコンテンツが提供できることが分かって、大いに収穫を得ることができました。

エアドーム外観
エアドーム外観

Digitariumによる日周運動
Digitariumによる日周運動

地磁気が自分の体に“刺さる”のを見るのは、写真や文章で表すのは難しいのですが、もし機会があれば、実物をご覧になることをお勧めします。
ちなみに、メディア・アイ・コーポレーションでは、出張プラネタリウム上映を行っています。
http://www.digitarium.jp/shows.html

2011年11月27日日曜日

EOS 60D出動 11月(5)

今日の現場は水天宮、撮影カット数は約1,400枚でした。
照明は普通の条件。悪くないと思います。

2011年11月23日水曜日

EOS 60D出動 11月(4)

今日の現場は目黒、撮影カット数は約1,500枚でした。
照明条件はまぁまぁ。ホリゾントがあればベストでした。

2011年11月20日日曜日

EOS 60D出動 11月(3)

今日の現場は新横浜、撮影カット数は約900枚でした。
照明条件は、今日の現場では精いっぱいといったところ。

2011年11月15日火曜日

CINEMA EOS C300で撮られたSF映画

キヤノンのCINEMA EOS C300で撮られたSF短編映画が本格的です。
内容はともかく、「ここまでできる」という良い事例になっています。

XXIT from Stargate Studios on Vimeo.


2011年11月13日日曜日

EOS 60D出動 11月(2)

今日の現場は千葉中央、撮影カット数は約1,400枚。
照明は地明かりのみでした。

2011年11月6日日曜日

EOS 60D出動 11月(1)

今日の現場は日暮里。撮影カット数は約900枚。
照明条件はかなり厳しいものでした。

2011年11月4日金曜日

CINEMA EOS SYSTEM発表

キヤノンから、CINEMA EOS SYSTEMが発表されました。デジタル一眼レフシステムのEOSシリーズで、動画が撮れるようになって3年が経ちました。最初は、EOSで動画が撮れるということの魅力を感じませんでしたが、実際に撮られた絵を見て、考えを改めました。

今回発表されたCINEMA EOS SYSTEMは、本格的な「映画」が撮れるシステムです。やはり、実際に撮られた絵を見て、これは使えると思いました。

Mobius from Vincent Laforet on Vimeo.


2011年10月29日土曜日

ナビスコカップ 鹿島アントラーズ優勝

2011年は天皇杯優勝で明けて、Jリーグも「スタートダッシュか」と思っていたらまさかの失速。
正直、心配になる試合も多々ありました。

それでも、このまま終わる鹿島ではありませんでした。優勝できて本当に良かった。

ボールの支配率では鹿島の方が上回り、浦和にやりたいプレーをさせない試合運びで、やはり巧いと思わせます。後半の早い時間に浦和の山田(直)が2枚目のイエローカードで退場になり、鹿島の一方的な試合展開になります。しかし、浦和も最後のところで踏ん張り、なかなか点が入りません。
嫌な感じになってきたところで、青木がつじつま合わせ的な2枚目のイエローカードを受け、鹿島も10人になってしまいます。
浦和の方も積極的にしかけてきて、危ない場面も演出されるようになりました。

90分では決着がつかず、そのまま延長戦へ。延長戦では、鹿島が再びボールを支配するようになって、じわじわと攻める鹿島と、一発の個人技で急襲する浦和の戦いになります。

点が入ったのは延長前半の終了間際、興梠のがんばりでボールを持った鹿島が、田代を経由して再び興梠へ、興梠のクロスに合わせた大迫がゴールネットを揺らしました。

MVPは大迫でしたが、ほとんど興梠のものと言ってもいいくらいです。

チケットを手に入れることができなかったので、TV観戦となりましたが、良い試合でした。

2011年10月22日土曜日

NHKみんなのうた「エレファン」

NHKみんなのうた「エレファン」が、尋常じゃない鬱な内容です。NHKは公式サイトで、「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」と並べて解説していますが、残念ながら、それほど内容に深みがあるとも思えない。

わがままいっぱいの子象と、そのわがままを全て受け入れる母象が登場します。母象の結末は、子象の非現実的なわがままを拒否せず受け入れた結果、唐突に登場する「人間」に撃たれて死ぬことになってしまいます。

母象の死の原因を作ったのが子象であり、同時に子象の子育てに失敗した(甘やかせるだけが子育てではない)母象自身にも原因があるという、どちら側から見ても救いようのない話になっています。

私は、これを子どもたちに見せられないなぁと感じるのは、人はモノには原因と結果があると考えがちだということ。原因がなくても、偶然に結果は生じることもあるのに、無理矢理原因を探して当てはめてしまうこともあるのです。

子どもの側から見ると、「自分がわがままばかり言ったから、親は死んだ」ということになります。

でも、例えば震災で親を亡くした子どもたちに言いたい。世の中には偶然ということもあるのだと。決して、あなたのせいで、何かが起こったわけではないと。

NHKは、悲劇をとりあえず陳列すれば「あとは視聴者が何とかする」という安易な作り方をしているようですが、この時期にデリカシーがないと思えて仕方がありません。




私が子どもにお話しするとしたら、ひねりは無いですが夢オチにします。
エレファンはお母さんを待ちくたびれて、いつの間にか眠っていました。
お母さんが、にんげんに撃たれて死んでしまう。
涙を流して自分のわがままを後悔していると、お母さんの声がする。
お母さんは、月の代わりに「勇気の実」を取ってきてくれていた。
目を覚ましたエレファンは、お母さんに謝ると、お母さんは「どうかしたの?」と言って、エレファンに長〜いお鼻で優しくキスをしました。
おしまい。

2011年10月18日火曜日

EOS-1D X発表

キヤノンから、EOS-1D Xが発表されました。
http://cweb.canon.jp/newsrelease/2011-10/pr-1dx.html

ほぼ、事前の噂どおりのスペックで、「これでもか」というくらいのテクノロジーを詰め込んでいます。この機種で、EOS-1Ds系とEOS-1D系が統合されます。(APS-H系が廃止になるか、新たな製品ラインを誕生させるかは現時点で不明ですが)

確かに素晴らしい。

ただ、私が「買うか」と聞かれれば、正直あまりそういう気分でもありません。
私の撮影は、手持ちで長時間というスタイルです。EOS-1Dクラスの重さは、三脚使用でないと辛いです。

私が欲しいのは、EOS 60Dクラスで、測距点が19点あるような機種です。EOS 70D?ですか。

いずれにしても、近いうちに実物を見に行こうと思います。



2011年10月16日日曜日

EOS 60D出動 10月(1)

EOS 60D復帰後初の現場で、東陽町。撮影カット数は約1,300枚。

ピンスポ3本で、ホリゾントあり。まぁまぁの照明条件。

2011年10月8日土曜日

ザ・ベスト盤 Cocco

8月15日にリリースされたCoccoの『ザ・ベスト盤』を予約注文していて、よさこい祭りの取材を終えて、到着して聞き込んでいました。

それにしても、プロのシンガーに対して言うのは大変失礼なのですが、Coccoは歌がうまくなりました。初期の頃の、なんだか分からないけど、歌わずにいられないと思わせるような必死さだけではない、余裕というか、“余白”を感じさせます。もちろん、歌唱法とか、いろいろあるんでしょうけど、素人の私には分かりません。

また、3月11日の震災支援としてリリースされた『Inspired Movies』も手に入れましたが、このアルバムにも震災が陰を落としています。Alanに提供した『群青の谷』をCoccoが歌っています。あと、『絹ずれ』を日本語で歌っているので、ちょっとびっくりしました。『エメラルド』に収録されていたバージョンは、島言葉でした。

いろいろとゴタゴタのあった沖縄の普天間基地問題は、一周して元の木阿弥、ヘタをすると「今のまま」なんてことにもなりかねない状況です。

一方の東日本大震災の対応も、「被災者のため」と言いながら政治家の先生たちは、党がどうとか、解散がどうとか、そんな話ばかりです。

外国で問題が起こると、私たち日本からは「なんでもっと賢くやらないのか」と疑問に思います。けれど、私たち日本に問題が起こってみると、案外賢くないことが露呈してしまっています。

のんきに歌なんか歌って
私に何ができたっていうんだ。

��『想い事。』Cocco)


彼女の自問は、私にも響きます。


ザ・ベスト盤(初回限定盤)

Macintoshを買う

1990年、今は亡きゼロワンショップ(キヤノン販売、いまのキヤノンマーケティングジャパン)にMacintoshを買いに行きました。当時は、Apple Computer社(いまのApple社)の製品をキヤノン販売が扱っていました。

店頭で、「Macintosh Plusを下さい」と言ったら、店員が、「絶対Macintosh SE/30の方がいいですから」と勧めます。当時は、仕事でもプライベートでもNECのPC-9800シリーズを使っていたので、Macintoshは「ちょっと使ってみようか」という程度のパソコンだったのです。趣味にそれほどお金をかけるつもりもなかったので、迷ったのですが、店員があまりにも熱心に勧めるので、「じゃぁ」ということで、Macintosh SE/30にしました。

そのときの価格が税込み556,138円。パソコンにこれほどのお金を払ったのは、最初で、おそらく最後だと思います。

システム(当時は漢字Talk6)はフロッピーディスク(FD)に収められていて、アプリケーションやデータはFDを差し替えることにより行います。デスクトップで、FDのアイコンをゴミ箱にドラッグすると、FDがイジェクトされるのは斬新でした。

本格的に使うのはFDでは厳しいので、その後Macintosh SE/30に内蔵ハードディスクドライブ(当時はSCSI接続)と外付けモニター用ビデオカードを入れました。当時のMacitoshはモノクロ画面が標準だったので、カラー画面を使うには、ハードウェアとしてのビデオカードの他に、Icon Colorizerとかフリーソフトが必要でした。

インターネットは普及していなかったので、フリーソフトを手に入れるのは、ゼロワンショップに行ってフリーソフトの入ったFDをコピーさせてもらうとか、雑誌を買って付録のFDを手に入れるか、という方法でした。
いまにして思えば、ずいぶんアナログなものです。

このMacintosh SE/30をあまり実務に使った記憶はないのですが、私にとってのMacの入門機で、その後のMacとの付き合いの始まりを飾る思い出深い機種です。

2011年10月6日木曜日

Steven Jobsの死去

私が最初に買ったPCは、残念ながらApple製ではありませんでした。当時は価格が高くて、学生には買えなかったのです。

最初に買ったときは、社会人になっていました。その後、何回も買い替えてきましたが、その最初のMacintosh SE/30は手放さずに持っています。いまでは起動しなくなりましたが、修理方法は分かっています。いつか・・・。

今朝、目覚めると「Steven Jobs氏が死去した」というニュースが入っていました。CEOを退いたばかりだったので、「そんなに悪かったのか」という印象でした。

Macintosh SE/30やMacintosh IIの頃は、Apple(当時はApple Computer)から何が出てくるか、毎回楽しみでした。Jobsの復帰後も、iMac、Cube、G3、G4/G5、Intel Macと、高性能のPCが次々と出てきましたし、NeXTの技術を継承したMacOS Xも順調に進化しています。

そして、Appleの地位を決定づけたのは、iTMS(その後のiTunes Store)とiPhoneの登場です。でも私は、この裏で葬り去られたNewton MessagePadの存在が忘れられません。Jobsによって葬られたコンセプトは、Jobsによって生き返ったと言えなくもありません。

おそらく、Newton MessagePadの敗因はハードウェアを売ろうとしたこと。iPodの成功は、iPodを使うライフスタイルを売ろうとしたこと。


ちなみに、Newton MessagePad 110をまだ持っています。こちらは、ちゃんと起動します。

JobsがいないAppleは、これからどうなるのでしょうか。もう数年前から、Appleは普通の会社になっています。普通の会社なんだけど、Jobsのお陰で神秘性と物語をまとって、躍進できたという側面もあると思うのです。

私は、いまも昔もMacユーザーですから、これからのAppleの進路に大いに興味があります。

2011年9月27日火曜日

EOS 60D修理

修理に出していたEOS 60Dを引き取りました。シャッターユニット交換の処置です。
修理中は、サブのEOS 30Dと40Dを使っていましたが、60Dの方が手になじみます。ボディが軽いのも助かります。

2011年9月20日火曜日

EOS 60D出動 9月(4)

今日の現場は赤坂見附、撮影カット数は約1,600枚・・・なのですが、本当はもっといったはずです。1,600枚少し撮ったところで、ボディが故障しました。シャッターの固着。11か月の寿命でした。

その後、サブ機のEOS 40Dで、約950枚撮影しました。

2011年9月19日月曜日

EOS 60D出動 9月(3)

今日の現場は八王子、撮影カット数は約1,000枚。
行きも帰りも、渋滞にはまりました。遊びなら「予定変更!」ってできるのに・・・。

2011年9月14日水曜日

EOS 40D修理

修理に出していたEOS 40Dを引き取ってきました。AF精度調整に出したのですが、「基準レンズで調整しました」とのこと。テスト撮影してみると、若干前ピン気味ですが、修理に出す前よりは改善されています。

あと、ダイヤルユニットが空転していたとのことで、交換されていました。修理に出す前は気づきませんでしたが・・・。

ちなみに、AF精度調整を本格的にやるなら、ボディとレンズをすべて預けて、トータルで行うべきのようです。ただ、私の場合、EOS 60DでAFが合っていないという現象は無いので、40Dの個体の問題だと判断しました。

2011年9月13日火曜日

中秋の名月

今日(9/12)は中秋の名月です。東京でも、よく月が見えます。熱帯夜の名月というのは、ちょっと違和感がありますが・・・。

中秋の名月2011

2011年9月12日月曜日

EOS 60D出動 9月(2)

今日の現場も水天宮。先週に続いて、駐車場が満杯でした。
撮影カット数は、約1,800枚。EOS 40Dを修理に出しているので、今日のサブ機はEOS 30Dでした。照明はピンスポが入って、良好でした。

2011年9月4日日曜日

EOS 60D出動 9月(1)

今日の現場は水天宮、撮影カット数は約3,000枚でした。
照明は、前半はピンスポで極めて良好、後半は極めて厳しい条件でした。

ところで、サブのEOS 40DのAF精度が悪くなってきました。修理に出す予定です。

2011年8月23日火曜日

EF70-200mm F4L修理

キヤノンEF70-200mm F4.0L USMのピントが甘いという指摘を事務所から受けていました。よさこい祭りの撮影で使って、やはり甘いことがあるのに気づきました。

念のために修理に出したところ、精度不良+固定筒ユニット破損という、ちょっとした重傷でした。

全くピントが合わないとか、フォーカシング機構が動かないとかだったら、すぐ故障と判断できるのですが、「合わないことがある」という症状は判断が難しいものです。

このレンズは10年以上使っていますが、奇麗な絵が撮れるので気に入っています。これからも活躍してもらおうと思っています。



2011年8月21日日曜日

EOS 60D出動 8月(4)

今日の現場は目白、撮影カット数は約2,400枚でした。照明は昨日に続いて厳しめ。この会場は、普通に照明を入れれば綺麗に撮れるのに、もったいなかったです。

2011年8月20日土曜日

EOS 60D出動 8月(3)

今日の現場は市川、撮影カット数は約1,200でした。照明条件は厳しめ。ストロボ光の卓越した絵作りになってしまいます。

2011年8月7日日曜日

EOS 60D出動 8月(2)

今日の現場は御成門、撮影カット数は約2,300枚でした。サブのEOS 40Dでも約200カット撮影しました。
ピンスポ×2灯があたったのですが、リハと違ったので、少々あわてました。

2011年8月6日土曜日

EOS 60D出動 8月(1)

今日の現場は目白、撮影カット数は約800枚でした。光量の弱い320EXを初めて使いました。大きい会場ではなかったので、十分です。ただ、近距離の露光オーバーをなくそうと導入したのですが、これについてはあまり効果はなかったように思います。

2011年7月31日日曜日

EOS 60D出動 7月(7)

今日の現場は後楽園、撮影カット数は約2,200枚でした。ピンスポありの照明でしたが、カラー照明に比べて弱くて、引っ張られます。悩ましい条件でした。

会場のホテルでは、終宴してお客様が退出したあと、宴会場スタッフが整列して「お疲れさまでした」と挨拶してから後片付けに着手していました。他のホテルでは、直ちに後片付けが始まるのですが、このホテルのカルチャーですね。

2011年7月30日土曜日

EOS 60D出動 7月(6)

今日の現場は九段下。撮影カット数は約2,200枚でした。サブのEOS 40Dも約100カット撮影。
逆光の照明と、強いホリゾントで厳しい条件ではありましたが、強めのストロボ光で対処しました。

2011年7月24日日曜日

EOS 60D出動 7月(5)

今日の撮影は御成門で、カット数は約900。ピンスポ×2灯で、ノーフラでした。

2011年7月23日土曜日

EOS 60D出動 7月(4)

今日の現場は目白。撮影カット数は約2,200。照明は厳しい条件でした。ピンスポがタングステンで、光量が弱く、地明かりに負けてしまいます。
結局、ストロボ光を生かした撮影になりました。

2011年7月22日金曜日

EOS 60Dのファームをアップした

キヤノンEOS 60Dのファームウェアがバージョンアップされたので、今日適用しました。
機能的にはあまり変化はありませんが。

EOS 60D ファームウエアVersion 1.1.0
http://cweb.canon.jp/drv-upd/eosd/eos60d-firm.html

2011年7月19日火曜日

2011年7月18日月曜日

EOS 60D出動 7月(3)

今日の現場は品川。撮影カット数は約2,300でした。

3時過ぎからなでしこジャパンの優勝を見届けての現場でしたので、体力的にはきついはずでしたが、「優勝」という結果を受けて、テンションが高めで問題なし。

2011年7月17日日曜日

EOS 60D出動 7月(2)

今日の現場は青山。撮影カット数は約1,800でした。

ここは照明をABCが担当していて、きれいな条件だったのでノーフラで撮影。最近、照明の外注というのは珍しいですが、ABCがやると全然違います。

ちなみに、今日もサブでEOS 40Dが出動し、撮影カット数は約120でした。

2011年7月16日土曜日

EOS 60D出動 7月(1)

今日の現場は水天宮。撮影カット数は約1,400。やはり、照明がよいときれいに写る。

ちなみに、EOS 40Dも出動。サブで、約100カット撮影。

2011年7月3日日曜日

EOS 40D出動 7月

いろいろ事情があって、今日は急遽EOS 40Dの出動となりました。久しぶりに使います。耐久処理をしてからは初めてです。約1,500カット撮影。

今日のパーティーも、今年3月に予定されていたのが延期になったものでした。パーティーの主役は福島県出身。実家も被災したそうです。

2011年6月25日土曜日

EOS 60D出動 6月

久しぶりに出動しました。約1,000カット撮影。
パーティーは4月に予定されていたものの、震災の影響で今日に延期になったとのこと。
チャリティーもありました。

2011年6月23日木曜日

後からピントを合わせる

後からピントを合わせられる技術Fourier Slice Photographyというのは知っていましたが、いよいよ実用化されるようです。

ピントを合わせてから、シャッターを切るという写真撮影の所作が、根本的に変わるかも知れません。

Lytro Picture Gallery
http://www.lytro.com/picture_gallery

2011年6月21日火曜日

「京」が世界一に

理化学研究所と富士通が開発しているスーパーコンピューター「京」が、ランキングで世界一になったと報道されました。
http://www.top500.org/lists/2011/06

事業仕分けのとき、蓮舫議員が「2位じゃダメなんですか!」と叫んだことで有名になってしまったわけですが、皮肉なことに、あの言葉が「京」の開発を推進した結果になったような気がしてなりません。

前後関係からすると、おそらく蓮舫議員の質問の意図は、例えて言うと「500m先のスーパーに買い物に行くのに、世界最速の自動車が必要なのか?」ということだったと思います。
もちろん、開発者はスーパーに行きたかったわけではありません。


しかし、当時の民主党政権の政策の進め方は、「切れるものは切る」という風潮でしたから、科学界は日本での研究開発がばっさり切られるという危機感を持ったと思うのです。私も危機感を持ちました。

その結果として、科学者やマスコミ、世論が後押しして、スーパーコンピューターの開発は進められたわけです。もしあのとき、蓮舫議員が「2位じゃダメなんですか!」という分かりやすく、しかも誤った批判をしなければ、これほど危機感を感じることは無かったと思いますし、いつの間にか予算カットみたいな役人的調整が入って、ほどほどの性能のマシンになっていた可能性もあります。

そういう意味では、蓮舫議員が「京」誕生の触媒になったのかも知れません。

2011年6月6日月曜日

2011年5月22日日曜日

WMX2-U01のデバイスドライバをはずした

WiMAXのUSBデバイス、IOデータ製のWMX2-U01のデバイスドライバをはずしました。仕事でWiMAXを使う必要があったのですが、ひと段落したためです。

もちろん、そのまま使い続けてもよかったのですが、このデバイスドライバを入れたままだと、シャットダウンや再起動ができなくなります。
IOデータのサポートに連絡しても、「特に対応はしない。そのまま使え。」的な回答で、何の役にも立ちませんでした。PCを強制終了して使うのはダメージが大きいので、使用中止となったわけです。

それにしても、IOデータはもうすこしマトモな会社という印象がありましたが、残念なことです。

ちなみに、シャットダウン・再起動ができない原因は、checkbcmcfg.exeがクラッシュしているという事実はつかんでおり、既知の問題です。

2011年5月5日木曜日

EOS 60D出動 5月(1)

今日の現場は池袋。約1,400カット撮影。
会場の照明は普通でした。

2011年4月30日土曜日

EOS 60D出動 4月(3)

今日の現場は溜池山王。撮影カット数は約2,600でした。
スモークのある現場は、フラッシュと相性が悪いものです。ただ、ノーフラッシュというわけにはいきませんでした。

2011年4月29日金曜日

扇風機を買った

何年ぶりに使うことになるのか、扇風機を買いました。今まではエアコンだったわけですが、もちろん、今年の夏の節電対策です。

扇風機を買うのを躊躇していたのは、置き場所の問題です。奥行き約20cmに収まるサイズのを買ったので、これなら何とかなると思います。

2011年4月25日月曜日

蛍光灯間引き

部屋の照明は3灯の(電球型)蛍光灯があるタイプですが、1灯を間引きしました。4〜5日経ちましたが、正直、全く気がつきません。2灯の明るさに慣れるからですが、ある意味無駄に電気を使っていたわけです。

次は、レフ電球の代替を探します。

2011年4月16日土曜日

EOS 60D出動 4月(2)

今日は、先週に引き続き箱崎の現場。撮影枚数は約3,200カット。大きなパーティーでした。開会前のお昼にも大きめの余震(23区で震度4)があり、落ち着かない状況でしたが、いまやれることをやるだけです。

2011年4月15日金曜日

ドコモminiUIMカードを手に入れた

結構長い間使っていた携帯電話N905iμが壊れました。EL液晶の表示がおかしくなっています。修理料金を聞いたら、15,000円以上するとのこと。そこまでして直すこともないと思い、この携帯電話は引退させることにしました。

次はただの携帯電話ではつまらないので、iPhoneやiPadを狙って、ドコモminiUIMカードに変更しました。ショップに行った時、「有料」と言われましたが、151に問い合わせて、UIMカードからminiUIMカードへの変更は「1回に限り」無料であることを確認し、窓口でその旨伝えました。

そして無事、手に入れました。



ちなみに、151では「1回限り」を連呼されましたが、ntt docomoのWWWページでは「12ヶ月に1回無料」となっており、こちらが正確と思われます。
SIMロック解除の開始について
-あわせて「ドコモminiUIMカード」の提供を開始-
��2011年3月11日>
http://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/2011/03/11_00.html

2011年4月14日木曜日

デスクライトを替えてみた

今まで使っていたデスクライトは蛍光灯式でした。U字蛍光灯×2本で、両方点けると54W。いつもは1灯しか付けないので、27Wです。

それほど大きな消費電力ではありませんが、相対的に大きく感じていました。

そこで、LED式のデスクライトに替えてみました。こちらは最大で12Wです。
しかし、最大だと明るすぎるので、50%くらいで使っています。

蛍光灯と違って、調光ができるのが良いです。

2011年4月10日日曜日

EOS 60D出動 4月(1)

今日の撮影は箱崎。撮影枚数は約2,100カット。中くらいの規模でした。ホリゾントのある会場だと、きれいに写ります。

2011年4月1日金曜日

EOS 40Dを耐久処置してもらった

EOS 40Dが10万ショットを超え、キヤノンから「耐久処置が必用な状態」と宣告されていました。その後、EOS 60Dを手に入れましたし、出番が少なくなっていたのですが、このまま眠らせておくのはもったいないと思い、先週サービスステーションに耐久処置に出しました。

今日、そのEOS 40Dを受け取りました。シャッターユニット、前板ユニット、レリーズボタンの交換が施されました。

前回調べた時は、11万ショット超でしたが、いま調べてみたら111となっていました。ちゃんとカウンターもリセットするんですね。当然か。

これで、EOS 40Dをバリバリ使えます。

ちなみに、このEOS 40Dは、モードダイヤルの回転を固くする調整をしてもらっています。EOS 60Dはモードダイヤルのロック機構が付きましたが、EOS 40Dはダイヤルが大きく、不用意に動いてしまうことがありました。
なお、新宿でEOS 40Dを受け取った後、品川で打ち合わせがあったので、品川のキヤノンギャラリーSに寄って、EF70-300mmF4-5.6L IS USMの写りを試してきました。いつも使っているEF70-200mm F4L USMと比べると、少々「甘い」印象を受けます。ただ、人物撮影では使えるレベルにあると感じました。

2011年3月23日水曜日

LED電球に替えてみた

福島第一原子力発電所の事故などで、計画停電が実施されるような状況になっています。節電のため、部屋の電球は、数年前に全て電球型蛍光灯に取り替えていますが、ミニクリプトン球が課題でした。

最近、東芝からほとんど同じサイズのLED電球が発売されているのを見つけたので、点灯時間が長い2カ所で早速取り替えてみました。


サイズは、ミニクリプトン球(左)とほとんど同じです。


明るさが足りないのではないかと懸念していましたが、十分です。元のミニクリプトン球と変わりません。

ネックは、1個3,300円と、価格が高いこと。同じ型のミニクリプトン球が1個330円ですから、10倍もします。ただ、消費電力は約1/9です。実際問題として、この節電効果は大したことはありませんが、やらないよりはマシと思いました。

2011年3月20日日曜日

スーパームーン

スーパームーンということで、月を眺めてみた。自然災害とは関係無いということだが、大潮でもあり、地震の連想でどうしても風流な気分になれない・・・。


2011.3.20

2011年3月19日土曜日

EOS 60D出動 3月

今日の撮影枚数は約1,000枚。それほど多くありませんでした。

ところで、こんな時期にパーティーの撮影というのは、正直葛藤がありました。
しかし、セルジオ越後や主催者も言っている通り、家にいてテレビを見て涙を流しても、顔をしかめても、被災された方々には何の役にも立ちません。
内容はどうあれ、稼いで、税金を納めることが私にできることです。

2011年2月25日金曜日

EF-S18-200mm F3.5-5.6 IS当選!?

昨日、キヤノンからEF-S18-200mm F3.5-5.6 ISに関する不具合情報がメールされてきました。

「レンズ内部のビスが緩みズームが作動しない場合がある」

とのこと。ただ、この情報提供は、情報不足です。頻度がどの程度なのか、100本に1本なのか、1万本に1本なのか・・・。

ちなみに、私の持っているレンズの製造番号を調べたら、見事(?)当選していました。

ちょっと怖くて、大事な撮影の時は使えません。

デジタル一眼レフカメラ用交換レンズ「EF-S18-200mm F3.5-5.6 IS」をご使用のお客さまへ
http://cweb.canon.jp/e-support/info/110224efs18-200.html


なお、同じ日に別のお知らせ(「デジタル一眼レフカメラ「EOS 7D」、「EOS 40D」、「EOS 50D」、「EOS 60D」をご使用のお客さまへ」)も届いて、こちらはレンズとの組み合わせによってクロスAFが効かない、というものです。

ひょっとして、最近気づいたのでしょうか・・・?

デジタル一眼レフカメラ「EOS 7D」、「EOS 40D」、「EOS 50D」、「EOS 60D」をご使用のお客さまへ
http://cweb.canon.jp/e-support/products/eos-d/110224eosd.html


さらに同じ日、キヤノンEOS 60Dに搭載された「アートフィルター」の名称を「クリエイティブフィルター」に変更するというアナウンスもありました。
「アートフィルター」はオリンパスの商標(商願2010-88559)ですが、ひょっとして無断使用だったということ?
デジタル一眼レフカメラ「EOS 60D」をご使用のお客さまへ
http://cweb.canon.jp/e-support/products/eos-d/110224eos60d.html

2011年2月12日土曜日

エジプト

およそ半年前にエジプトに行った時は、こんなことになるとは夢にも思いませんでした。

ムバラク(前)大統領って、あんなに嫌われていたんですね。サダト(元)大統領の記念展示を見せられた外国人には、かの国の指導者は、本音はどうあれ尊敬されるものだと思っていました。

エジプトの市民は革命を起こしたわけですが、同時に略奪などの治安悪化もあったと聞きます。しかし、私が行ったアレクサンドリアでは、アレクサンドリア図書館を守るために人間の鎖ができたとか・・・。
アレクサンドリア図書館は無事だという報告がありました。

さて問題は、これからエジプトの市民がどういう政権を作っていくか、です。

2011年2月6日日曜日

EOS 60D出動

今日の現場は水道橋。枚数はそれほど行かず、1,500カットほど。

ただ、望遠で撮った現場なので、ストロボが大活躍しました。

2011年1月30日日曜日

アジアカップ優勝!

日本がサッカーアジアカップ優勝!

やったー!!

2011年1月27日木曜日

2011年1月19日水曜日

じゃのるから鶴丸

日本航空(JAL)のロゴマークが「じゃのる」から「鶴丸」に戻るようです。個人的には「鶴丸」が良いと思っていましたが、そのまま戻るというのは微妙な感想です。

そんなことよりも、JALはどうしたいのか、が重要なんですが、そのメッセージが伝わってきません。LCCに参入しない、というのは明確ですが、じゃぁリッチ層に特化するのかというと、そうでもなさそう。

JALがいままでお客様としてきた中間層がどんどん薄くなってきた時代背景で、「鶴丸」とともに昔の夢をもう一度では、空路の先は霧にかすんでいる気がします。

2011年1月10日月曜日

撮影の仕事始め

今日は撮影の仕事始めでした。

約2,000ショット撮影。ストロボはほとんど未使用です。
途中で会場のピンスポのランプが切れて、少々あわてました。

2011年1月1日土曜日

鹿島アントラーズ天皇杯優勝

第90回天皇杯決勝で、鹿島アントラーズが清水エスパルスを降して、優勝しました。

鹿島 2 - 1 清水

昨年はタイトルが無かっただけに、最後の最後に優勝できて、良かったです。

今年の国立競技場は、暖かでした。日差しが気持ちよい観戦日和。試合の前半は、鹿島がボールを支配し、清水を圧倒していました。そんな中、前半26分左からのコーナーキックをフェリペ・ガブリエルが決めてくれました。

「ひょっとすると、このまま楽勝かもしれない」

そんな印象を受けます。

しかし、そんなに簡単ではありませんでした。後半に入ると、立ち上がりから清水がボールを左右に散らし、ヨンセンめがけてボールを放り込んできます。徐々にこぼれ球を拾えなくなった鹿島は、何度か決定的なピンチを迎える場面もありました。ついに後半14分、そのヨンセンにゴールを決められてしまいます。

ただ、一進一退の攻防の中、後半32分に野沢が直接フリーキックでゴールを決めて、勝ち越します。この1点差を守りきった鹿島が、優勝しました。

なかなか、見応えのある試合でした。

また、鹿島はACLの出場権を獲得しました。今年も楽しみな1年になりそうです。


あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


Pompey's Pillar, Alexandria, Egypt