2011年10月29日土曜日

ナビスコカップ 鹿島アントラーズ優勝

2011年は天皇杯優勝で明けて、Jリーグも「スタートダッシュか」と思っていたらまさかの失速。
正直、心配になる試合も多々ありました。

それでも、このまま終わる鹿島ではありませんでした。優勝できて本当に良かった。

ボールの支配率では鹿島の方が上回り、浦和にやりたいプレーをさせない試合運びで、やはり巧いと思わせます。後半の早い時間に浦和の山田(直)が2枚目のイエローカードで退場になり、鹿島の一方的な試合展開になります。しかし、浦和も最後のところで踏ん張り、なかなか点が入りません。
嫌な感じになってきたところで、青木がつじつま合わせ的な2枚目のイエローカードを受け、鹿島も10人になってしまいます。
浦和の方も積極的にしかけてきて、危ない場面も演出されるようになりました。

90分では決着がつかず、そのまま延長戦へ。延長戦では、鹿島が再びボールを支配するようになって、じわじわと攻める鹿島と、一発の個人技で急襲する浦和の戦いになります。

点が入ったのは延長前半の終了間際、興梠のがんばりでボールを持った鹿島が、田代を経由して再び興梠へ、興梠のクロスに合わせた大迫がゴールネットを揺らしました。

MVPは大迫でしたが、ほとんど興梠のものと言ってもいいくらいです。

チケットを手に入れることができなかったので、TV観戦となりましたが、良い試合でした。

2011年10月22日土曜日

NHKみんなのうた「エレファン」

NHKみんなのうた「エレファン」が、尋常じゃない鬱な内容です。NHKは公式サイトで、「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」と並べて解説していますが、残念ながら、それほど内容に深みがあるとも思えない。

わがままいっぱいの子象と、そのわがままを全て受け入れる母象が登場します。母象の結末は、子象の非現実的なわがままを拒否せず受け入れた結果、唐突に登場する「人間」に撃たれて死ぬことになってしまいます。

母象の死の原因を作ったのが子象であり、同時に子象の子育てに失敗した(甘やかせるだけが子育てではない)母象自身にも原因があるという、どちら側から見ても救いようのない話になっています。

私は、これを子どもたちに見せられないなぁと感じるのは、人はモノには原因と結果があると考えがちだということ。原因がなくても、偶然に結果は生じることもあるのに、無理矢理原因を探して当てはめてしまうこともあるのです。

子どもの側から見ると、「自分がわがままばかり言ったから、親は死んだ」ということになります。

でも、例えば震災で親を亡くした子どもたちに言いたい。世の中には偶然ということもあるのだと。決して、あなたのせいで、何かが起こったわけではないと。

NHKは、悲劇をとりあえず陳列すれば「あとは視聴者が何とかする」という安易な作り方をしているようですが、この時期にデリカシーがないと思えて仕方がありません。




私が子どもにお話しするとしたら、ひねりは無いですが夢オチにします。
エレファンはお母さんを待ちくたびれて、いつの間にか眠っていました。
お母さんが、にんげんに撃たれて死んでしまう。
涙を流して自分のわがままを後悔していると、お母さんの声がする。
お母さんは、月の代わりに「勇気の実」を取ってきてくれていた。
目を覚ましたエレファンは、お母さんに謝ると、お母さんは「どうかしたの?」と言って、エレファンに長〜いお鼻で優しくキスをしました。
おしまい。

2011年10月18日火曜日

EOS-1D X発表

キヤノンから、EOS-1D Xが発表されました。
http://cweb.canon.jp/newsrelease/2011-10/pr-1dx.html

ほぼ、事前の噂どおりのスペックで、「これでもか」というくらいのテクノロジーを詰め込んでいます。この機種で、EOS-1Ds系とEOS-1D系が統合されます。(APS-H系が廃止になるか、新たな製品ラインを誕生させるかは現時点で不明ですが)

確かに素晴らしい。

ただ、私が「買うか」と聞かれれば、正直あまりそういう気分でもありません。
私の撮影は、手持ちで長時間というスタイルです。EOS-1Dクラスの重さは、三脚使用でないと辛いです。

私が欲しいのは、EOS 60Dクラスで、測距点が19点あるような機種です。EOS 70D?ですか。

いずれにしても、近いうちに実物を見に行こうと思います。



2011年10月16日日曜日

EOS 60D出動 10月(1)

EOS 60D復帰後初の現場で、東陽町。撮影カット数は約1,300枚。

ピンスポ3本で、ホリゾントあり。まぁまぁの照明条件。

2011年10月8日土曜日

ザ・ベスト盤 Cocco

8月15日にリリースされたCoccoの『ザ・ベスト盤』を予約注文していて、よさこい祭りの取材を終えて、到着して聞き込んでいました。

それにしても、プロのシンガーに対して言うのは大変失礼なのですが、Coccoは歌がうまくなりました。初期の頃の、なんだか分からないけど、歌わずにいられないと思わせるような必死さだけではない、余裕というか、“余白”を感じさせます。もちろん、歌唱法とか、いろいろあるんでしょうけど、素人の私には分かりません。

また、3月11日の震災支援としてリリースされた『Inspired Movies』も手に入れましたが、このアルバムにも震災が陰を落としています。Alanに提供した『群青の谷』をCoccoが歌っています。あと、『絹ずれ』を日本語で歌っているので、ちょっとびっくりしました。『エメラルド』に収録されていたバージョンは、島言葉でした。

いろいろとゴタゴタのあった沖縄の普天間基地問題は、一周して元の木阿弥、ヘタをすると「今のまま」なんてことにもなりかねない状況です。

一方の東日本大震災の対応も、「被災者のため」と言いながら政治家の先生たちは、党がどうとか、解散がどうとか、そんな話ばかりです。

外国で問題が起こると、私たち日本からは「なんでもっと賢くやらないのか」と疑問に思います。けれど、私たち日本に問題が起こってみると、案外賢くないことが露呈してしまっています。

のんきに歌なんか歌って
私に何ができたっていうんだ。

��『想い事。』Cocco)


彼女の自問は、私にも響きます。


ザ・ベスト盤(初回限定盤)

Macintoshを買う

1990年、今は亡きゼロワンショップ(キヤノン販売、いまのキヤノンマーケティングジャパン)にMacintoshを買いに行きました。当時は、Apple Computer社(いまのApple社)の製品をキヤノン販売が扱っていました。

店頭で、「Macintosh Plusを下さい」と言ったら、店員が、「絶対Macintosh SE/30の方がいいですから」と勧めます。当時は、仕事でもプライベートでもNECのPC-9800シリーズを使っていたので、Macintoshは「ちょっと使ってみようか」という程度のパソコンだったのです。趣味にそれほどお金をかけるつもりもなかったので、迷ったのですが、店員があまりにも熱心に勧めるので、「じゃぁ」ということで、Macintosh SE/30にしました。

そのときの価格が税込み556,138円。パソコンにこれほどのお金を払ったのは、最初で、おそらく最後だと思います。

システム(当時は漢字Talk6)はフロッピーディスク(FD)に収められていて、アプリケーションやデータはFDを差し替えることにより行います。デスクトップで、FDのアイコンをゴミ箱にドラッグすると、FDがイジェクトされるのは斬新でした。

本格的に使うのはFDでは厳しいので、その後Macintosh SE/30に内蔵ハードディスクドライブ(当時はSCSI接続)と外付けモニター用ビデオカードを入れました。当時のMacitoshはモノクロ画面が標準だったので、カラー画面を使うには、ハードウェアとしてのビデオカードの他に、Icon Colorizerとかフリーソフトが必要でした。

インターネットは普及していなかったので、フリーソフトを手に入れるのは、ゼロワンショップに行ってフリーソフトの入ったFDをコピーさせてもらうとか、雑誌を買って付録のFDを手に入れるか、という方法でした。
いまにして思えば、ずいぶんアナログなものです。

このMacintosh SE/30をあまり実務に使った記憶はないのですが、私にとってのMacの入門機で、その後のMacとの付き合いの始まりを飾る思い出深い機種です。

2011年10月6日木曜日

Steven Jobsの死去

私が最初に買ったPCは、残念ながらApple製ではありませんでした。当時は価格が高くて、学生には買えなかったのです。

最初に買ったときは、社会人になっていました。その後、何回も買い替えてきましたが、その最初のMacintosh SE/30は手放さずに持っています。いまでは起動しなくなりましたが、修理方法は分かっています。いつか・・・。

今朝、目覚めると「Steven Jobs氏が死去した」というニュースが入っていました。CEOを退いたばかりだったので、「そんなに悪かったのか」という印象でした。

Macintosh SE/30やMacintosh IIの頃は、Apple(当時はApple Computer)から何が出てくるか、毎回楽しみでした。Jobsの復帰後も、iMac、Cube、G3、G4/G5、Intel Macと、高性能のPCが次々と出てきましたし、NeXTの技術を継承したMacOS Xも順調に進化しています。

そして、Appleの地位を決定づけたのは、iTMS(その後のiTunes Store)とiPhoneの登場です。でも私は、この裏で葬り去られたNewton MessagePadの存在が忘れられません。Jobsによって葬られたコンセプトは、Jobsによって生き返ったと言えなくもありません。

おそらく、Newton MessagePadの敗因はハードウェアを売ろうとしたこと。iPodの成功は、iPodを使うライフスタイルを売ろうとしたこと。


ちなみに、Newton MessagePad 110をまだ持っています。こちらは、ちゃんと起動します。

JobsがいないAppleは、これからどうなるのでしょうか。もう数年前から、Appleは普通の会社になっています。普通の会社なんだけど、Jobsのお陰で神秘性と物語をまとって、躍進できたという側面もあると思うのです。

私は、いまも昔もMacユーザーですから、これからのAppleの進路に大いに興味があります。