2010年7月27日火曜日

エジプト旅行 スーツケース修理

今回のエジプト旅行のケチの付け始めは、スーツケースの破損からだった気がします。取っ手がもぎ取られました。

10年以上使っているので、耐久かとも思いますが、それにしても本体は何ともないので丈夫なものです。旅行保険で修理して、直ってきました。

20年をめざしますか・・・。


2010年7月18日日曜日

「はやぶさ」帰還・カプセル回収祝賀会

小惑星探査機「はやぶさ」が帰還してから、ほぼ1ヶ月が経ちました。回収したカプセルの中に、微粒子が発見され、今後の解析結果に期待が高まります。

そんな中、7月17日に、「はやぶさ」帰還・カプセル回収祝賀会が相模原市立博物館で、関係者を集めて開催されました。私も出席してきました。

川口先生を始め、JAXAを古くから支えてきた方々、はやぶさの運用に尽力して下さったメーカーの方々、広報を担当した方々、そうそうたるメンバーです。

私の個人的なハイライトは、宇宙研・相模原キャンパス近くにある共和小学校の子どもたちからのビデオメッセージと、寄せ書き。
この子どもたちの中から、未来の科学技術を背負って立つ人物が登場することを期待してやみません。


寄せ書きを受け取る川口教授

セカンドハイライトは、RCSとリアクションホイールが故障して、はやぶさの姿勢制御が困難になったとき、太陽輻射圧を利用して姿勢制御するアイデアを「いつ思いついたか?」という質問に対する回答でした。

「打ち上げ前に想定していました」

とのこと。脱帽です。私もどちらかと言えば技術系の仕事をしている端くれの一人として、この“最後の追い込み”をやるか、やらないかがプロジェクトの正否を分ける分水嶺になるという実例は、教科書に大きく載せてほしいものです。
奇跡は起こるものではなくて、起こすものなのです。

2010年7月13日火曜日

エジプト旅行 2010.07.3 帰国

アレクサンドリアに来て初めて、ホテルで朝食を食べた。というか、初めて朝食をとった。普通のビュッフェである。コーヒーがありがたい・・・のだが、薄い、薄すぎる。きっと、ネスカフェをお湯にといて、ポットに入れているのだろうけど。

ちなみに、「こんなこともあろうかと」ウィダーインゼリーとカロリーメイトを持ってきていて、ミネラルウォーターも飲んでいるので、前日までの毎朝、飲まず食わずというわけではない。


このホテルのチェックアウトが12時なので、午後は歩いて行ける範囲を観光する予定。



手持ちのエジプトポンドがほとんどない。今日は国立博物館に行くことにしていたが、タクシー代を浮かせるために歩くことにする。しかし、博物館ではドルで払えなかった。ATMで引き出そうとするが、「サービス停止中」の文字が・・・。作戦の練り直し。いったんホテルに引き上げて、休憩する。フロントでは両替できず、ホテルの向かいのATMも止まっていたので、別のATMを探すために、街歩きをする。何とか見つけて、100ポンドを引き出した。博物館に戻って、35ポンドを払う。セキュリティーチェックが異様に厳しい。エジプトのホテルや、図書館にもセキュリティーチェックがあるが、警報が鳴ってもそのままフリーパスという状態に慣れていたので、逆に驚いた。


アレクサンドリア国立博物館は、それほど大きな施設ではないけど、面白かった。特に、地下2階にあるミイラの展示。一番奥のミイラのひつぎの内側の絵が美しい。よみがえるまでの間、あの絵に見守られるのか・・・。

もっとも、この絵を見るためには懐中電灯が必要。照明はトップからしか当てていないので、肝心の絵は見えない。(【注】遺物保存のため、強い光を当てるべきではない)

夫婦の像や、贈り物をする絵などを見ると、当時の人々の暮らしが想像され、いたわりなどが感じられて、昔のエジプトの社会が何となく分かってくる。やはり、博物館には来るものだ。

博物館から引き揚げると、送迎サービスを頼んでいたので、待つだけ。海岸通りの道を地元の人のように横断して、海を見に行った。ゴミだらけ。



街で掃除をしている様子を眺めていたら、ゴミは集めるのではなく、店先から道路にかき出すだけ。風に吹かれて飛んでいってしまうので、最後に海にたどり着くというわけ。

ありえない。


時間通りに、送迎の担当者が現れた。26日の往路担当と同じ人だったらしく、「なぜ到着しなかったのか」との質問。欠航になって遅れた経緯を説明する。
ちなみに、送迎サービスは送迎だけではなく、チェックインカウンター、パスポートコントロールまで付いてきてくれて、手続きを手伝ってくれる。なるほど。

アレクサンドリア空港はゲートが1箇所しかなく、また、例によって表示もない。いやな予感が・・・。飛行機は20:30出発予定だが、ゲートに行列ができた。搭乗券を見ると、搭乗手続きは19:40開始となっている。いまは19:25。「違う飛行機の行列だろうな」と思っていたが、アラビア語で係員が何か言っている言葉の一部に「カタール」と聞こえた気がした。係員とアイコンタクトしたら、こちらに向かってきた。搭乗券を見せると「この行列だ」という。ずいぶん早い搭乗だと思ったら、なんと、20:00に離陸してしまった。のんびりしていたら、乗り遅れていたということか。恐るべし、アラブ時間。

アレクサンドリア空港を飛び立つと、カタールのドーハ空港まで3時間半。往路はカタール航空を使っていないので、カタール航空機に乗るのはこれが始めてとなる。機材はピカピカと言っていい。

サービスは日本並みとはいかないが・・・。



ドーハ空港は、ごった返していた。買い物をする人、ベンチで休む人、さまざま。私は、COSTA COFFEEに向かう。向かいにOryxラウンジがあった。本来なら、往路で10時間のトランスファーの待ち時間を過ごすはずだったところ。

復路はトランスファーの時間がそれほどない。出発ゲートでは、関空・成田行きの便のためか、日本人の団体旅行者が多かった。

カタール航空では、シールが配られ、寝ていたい人は座席にDo not Disturbを貼れるようになっている。これですよ、これ。

ただ、機内食の“魚”は売り切れだった。私の座席の担当フライトアテンダントは、スペイン語で同僚の人と話していた。私との会話は英語だったが、「スペイン語で」と思ったけど、なんか、そういう雰囲気ではない。

関空まで寝てすごす。関空は、これがはじめて。このフライトは関空便だったものを、成田まで延長したため、トランジットが必要。いったん、機外に出る。
本当は関空→羽田が便利なのだけど、ANA便ではないので、そうはいかない。(だけど、ANAとの共同運航便ではある)

携帯の電源を入れたら、メールがばんばん入ってくる。「帰ってきた」

このあと、再び飛行機に乗り込み、成田に向かった。1時間ほどで到着。成田エクスプレスで都心に向かうが、この車内のハイテクなこと。しかもぴかぴか。

日本は未来社会ですか。


ちょっとした逆カルチャーショック。

いろいろあったけれども、無事に自宅に帰り着いた。
��旅の総括は別記事で)

2010年7月12日月曜日

エジプト旅行 2010.7.02 観光の日

今日は1日観光にあてる。現地催行のオプショナルツアーを予約していたので、9時のカイロ集合にあわせて5時起き。6時過ぎにホテルを出たが、案の定タクシーはつかまらない。歩いて駅に行く。相変わらず、どのホームから出発するのか分からないので、駅の人に聞く。車内に入って、中の人にも聞く(エジプトでは、ダブルチェックが基本)。

2時間半かけて、カイロに到着した。ガイドさんは、無事に私の名前を掲げて待っていてくれた。ギザの3大ピラミッド、赤いピラミッドと屈折ピラミッド、メンフィス、階段ピラミッドの順に回る。私はじっくり見物する派だが、次々と連れて行かれる感じ。いかにも日本人仕様にできている。それでも、これだけの観光地を自力で回るのは容易ではない。パッケージの強みか。



教科書で見るピラミッドを目の前にして、もっと感慨が沸くかと思ったが、それほどでもなかった。これは、ピラミッドにつながる背景が私の興味を喚起しないからかもしれない。何とか王朝の何代目の王様のお墓・・・といわれても、「それはすごいねぇ」と答えるしかない。
私が興味を持っているのは、ポンペイの遺跡のように、街の人がどんな暮らしをしていたかが分かるもの。エジプトでは残念ながら、ピラミッドを建設した人や、市民がどんな暮らしをしていたかは、ピラミッドを見ていても分からない。ちなみに、ピラミッドの石に当時の職人さんが何かサインを残していないか聞いてみたが、「無い」とのこと。がっかり。

翌日、アレクサンドリアの国立博物館で見た夫婦の彫像や、生活感のある絵はものすごく興味をもって見られた。まず博物館に行ってから、ピラミッドの実物を見るべきだった。

天文学にも深い関係のあるピラミッドではあるが、現地に行ってもそれが体感できるわけでもないので残念である。
ラクダに乗る体験もいいけれど、そういう施設も必要だと思うのです。って、これは日本人の発想か?



駆け足の観光を済ませて、ぎりぎり17時に帰着場所のラムセス駅に到着した。相変わらずプラットホームが分からない。こんどは6番線だという。ふ~む。まぁ、無事にアレクサンドリアに帰ってこられたから、いいか。

明日はいよいよ帰国の途につく。混沌と喧騒の国、エジプトから解放されるわけだが、反面ちょっぴり寂しい気もする。

混沌、というのは、実は違う。日本人から見て混沌なようでも、現地の人にとってはちゃんと調和している。信号の無い道路を横断する歩行者も、突然車線変更するドライバーも、ぼったくるタクシーも、ちゃんと彼らの論理に基づいて行動しているのだから。

ちなみに、現地のバスは基本的に停留所で止まらない。バスには飛び乗るか、飛び降りるかする。お昼ご飯のとき、ガイドさんに「車いすの人や、お年寄りはどうやってバスに乗るのか?」と聞いたら、「バスには乗らない」と大笑いされた。そういうもんですか・・・。
「バリアフリー」という概念を一所懸命説明したけど、結局分かってもらえなかった。過保護的に過ごしている日本人と、自己責任で生きているエジプトの人との考え方の溝を埋めるのは容易ではない。
さらに、ちなみに、ガイドさんは地元の大学で考古学を専攻している専門家。車のドライバーは、企業の元化学エンジニアで、リタイア後この仕事をしているという。ドライバーの息子さんは技術系の大学を卒業したが仕事が無く、娘さんは大学で薬学を勉強しているけど就職が難しそう、という話であった。このツアーの関係者は、現地では知識層に含まれると思うけど、社会的な現実は厳しいものがあると、話の一端から感じた。

2010年7月10日土曜日

エジプト旅行 ちょっとブレイク

アレクサンドリアの国際会議には、約300名の参加者のうち40名強が日本人だったらしいです。すごいパーセンテージ。1位はアメリカ(85名)だけど、日本は堂々の2位。3位がドイツの21名。

ちなみに、日本人の多くの人が、エジプトでお腹を壊したらしいです。これは、旅行記でもよく聞く話。日本人に限らず、その他の国の人でも同様だったみたい。

ただ、私は何事も無く、エジプトの料理をばくばく食べてました。エジプトの料理はおいしい。お腹を壊すこともありませんでした。現地ガイドに、「生ものは避けるように」というガイドブックの話をしたら、「大丈夫!」と言われ、実際に食べてみたけど何ともありませんでした。

私が特殊なのか・・・。

2010年7月9日金曜日

エジプト旅行 2010.7.01 VISAカードが使えない

朝9時に、Le Metropoleに移動するための最終確認として、「ホテルの予約担当をつかまえる」というホテルクラブ・ドットコムの連絡を待つ。無事、予約が確定したもよう。荷物をまとめて、Le Metropoleに向かおうと、チェックアウトの手続きをしたが、VISAカードが使えないというトラブルに巻き込まれた。“Issuer not found”というエラーが出る。東京のカスタマーサービスに国際電話して、使えるようにしてほしいと依頼したが、「そっちで勝手に何とかしろ」という回答。今回の旅行は呪われているとしか思えない。ファラオを侮ってはいけない。

やむなく、手持ちのユーロで支払って、Le Metropoleに向かう。このタクシー運転手もぼったくりだったが、それはよいとして、Le Metropoleのフロントは格式を感じさせるもの。立地もよく、最初からここに泊まれればどんなに良かったことか。



今日と明日の2日間は、観光にあてることにする。今日は、明日のカイロ往復のチケットをミスル駅で買った後、カタコンベとポンペイの柱を見に行った。カタコンベでは、日本人の団体旅行者と遭遇。エジプトにおよそ似合わないぴかぴかの大型バスで乗り付けている。だから、私が(金持ちと間違えられて)ぼったくられるわけだ。

カタコンベは写真撮影禁止なので、記憶にとどめて、次のポンペイの柱を見に行く。こちらは、三脚を使わなければ無料で撮影可能。入り口でやけに厳重なセキュリティーチェックを受ける。エジプトでは、アラームが鳴ってもフリーパスが普通だが、ここは厳しかった。チップを渡せというサインか?中に入場するが、観光客はほとんどいない。写真を撮りまくる。しかし、それほど大きな規模ではないので、見学はあっけなく終了。通りの店の喧騒をしばらく見て、タクシーでホテルに引き揚げる。



明日はカイロに行って、1日ピラミッドを見て回る予定で、早起き。それにそなえて、静養する。

2010年7月8日木曜日

エジプト旅行 2010.6.30 私のIPS三日目(最終日)

ベンダーのデモを見ても、今の私の立場ではしょうがないのかもしれないが、アレクサンドリア図書館まで来て、プラネタリウムを一度も見ないというのも何なので、朝一番のデモに参加する。それほど大きいドームではない。日本で言えば、中堅クラスにあたるだろうか。極めて普通の施設であった。



その後、アレクサンドリア図書館のツアーがあったので、こちらに参加。図書館は広々としていて、快適そうな空間であった。が、ツアー参加者は中を見られるわけでなく、ガラス越しに見るだけ。館内にある展示室を見せられたが、とりたてて何か良いものでもない。エジプト人のナショナリズムは高揚させるかもしれない。また、天文に関する古文書などもあり、好きな人にはたまらないかもしれない。



昼食の後は、私の属する黄色組(参加者は三色のグループに分かれていて、グループごとに行動することになっている)は何もすることがない。あとは、閉会のセレモニー、ガラ・ディナーが残されているが、ディナーに出席しない私は切り上げて、ホテルに引き返す。

もともと泊まる予定だったLe Metropoleに電話し、明日の夜から宿泊可能になるという確認を取る。明日移動して、市内観光を予定。

2010年7月7日水曜日

エジプト旅行 2010.6.29 私のIPS二日目

今日も朝食は抜きにして、IPS会場に向かう。ホテルのフロントで、タクシーの相場を25〜30ポンドと聞いておいたから、タクシー代は安くできる。20ドル両替して、261ポンドになった。
で、図書館に到着してみると、案の定上乗せを請求され、35ポンド払った。日本円で100円くらいの差だから、いいんだけど・・・。

会場では、ゲストスピーカーの講演を聞く。「ギリシャの天文学の知識がアラブに伝わってヨーロッパのルネッサンスにつながったという話は大嘘だ」という主張は興味深かった。コペルニクスは、数百年前のアラブ人の書物を“コピー”しているという話を、証拠を挙げて主張していた。その妥当性は私には判断できないけれど、興味深い話であることは間違いない。また、アラブの天文学の知識はイスラム教の要請から生まれたという視点も面白い。



この後、「天文学と教育」の口頭発表を続けて聞いた。

ベンダーデモ的なセッションはパス。今日は、ワールドカップの日本vsパラグアイ戦があるので。と思ったら、部屋ではワールドカップの試合をテレビで見られないという。本当に使えないホテルだ。
プライベートビーチにあるというパブリックビューイング会場で、日本vsパラグアイ戦を観戦する。この対戦カードでは、誰も見ていない。この試合は延長戦までもつれ込んで、PK戦で負けるという悔しい結果。エジプト人が「運が悪かった」と慰めてくれた・・・。

しょんぼりと、部屋に引き上げる。

エジプト旅行 2010.6.28 私のIPS初日

月曜日になったからか、送迎サービスを手配したオクトパス、ホテルの予約をしたホテルクラブ・ドットコムから次々と連絡が入る。ホテルの方は、満室で部屋が用意できないという。送迎の件は、メールの連絡が行っていない模様。メールシステムはどうなっているのか?

※実際にはメールは届いていたことが後に判明した。


朝6時に起きて、早めの朝食をとろうと思ったら、朝食は9時からだという。使えないホテル。コーヒーが飲みたいだけなのに。

結局あきらめて、アレクサンドリア図書館に向かうことにする。入り口でうろうろしたが、レジストレーションはすんなりできた。ベンダーブースで五藤光学の人に会う。プラネタリウム番組HAYABUSAの海外配給をすることになったということで、私のプレゼンのときに紹介することにする。

アレクサンドリア図書館

IPSのプログラムは、粛々と進んでいく感じ。ただ、私のプレゼンの順番が1番目から2番目に変わっていた。しかも、この会場の司会者が来ない。結局、いるメンバーで進めることにした。私のプレゼンの後で、はやぶさが州の鳥になっている人から声をかけられる。また、聴衆の一人にまんが好きの女の子がいて、こちらからも声をかけられる。あとで一緒に記念写真を撮ったが、残念ながら、私はまんがに詳しい立場ではない・・・。



アレクサンドリアの片側4〜6車線の海岸沿いの道路には、信号が1箇所もない。その道路を、時速100km近くで自動車が走るわけだが、歩行者はその車の間を縫って普通に横断する。恐ろしい・・・。
ちなみに、タクシーのスピードメーターは壊れていて機能していないので、100kmというのは私の感覚に過ぎない。


タクシーからの眺め。この写真を撮ったおかげで、(金持ちと思われて)ボラれた

2010年7月6日火曜日

エジプト旅行 2010.6.27 バンコクからアレクサンドリアへ

何故かタイに来ることになってしまった。私の初海外がタイだったけれど、今回はただのトランスファー。ゲート付近のベンチで普通に座って待っていた。それにしても、500mlのボルビックが3ドルは高い。

0:45に出発。予定より30分遅れ。疲れていたので、機内で寝ていたら、エジプト航空のフライト・アテンダントに叩き起こされた。「夕食がいるか?」という質問。寝かせておいてほしい・・・。(夕食は、ANA機内でも出されている)

カイロ空港には予定より早く5:30に到着。VISAの取得は簡単だった。両替を同時に済ませ、税関を通り抜けて最初の関門、アレクサンドリアへの足をどうするか。声をかけてきたツーリスト・インフォメーションのアドバイスに従い、鉄道を使うことにする。
そのためには、ラムセス駅に行かねばならない。国際線到着は第3ターミナルのため、バスターミナルに行くにはシャトルバスを使う必要がある。このバス乗り場が分かりにくい。どのバスがどこに行くのか、聞かないと何も分からない。最初に言われたバスに乗ったのはいいが、この運転手が別のバスに乗り換えろという。その運転手が運転するのだから、「ラムセス駅に行く」と言っているので大丈夫と思うしかない。

このバスは、バス停で待っている人を無視して市内を疾走して行く。乗っていた4〜5人を降ろして、私が最後になった。両替したばかりで、100ポンドしかなかったため、おつりを取りに運転手が出て行く。おつりをもらって、親切に道案内してもらったはいいが、肝心の駅ではない。結局、バスターミナルに連れてこられただけ。ここで流しのタクシーを拾って、ラムセス駅に向かう。距離はそれほど離れていない。多いかとも思ったが、10ポンドを渡した。
さて、ラムセス駅でアレクサンドリア行きの列車の予約をする。ここも不親切。時刻表がアラビア語なので、さっぱり分からない。窓口で聞くと、8時に駅に到着しているのに、最も早い到着の列車が11時発だという。3時間・・・。

構内で人間観察をする。列車が到着するたびに、忙しそうに出て行く大勢の人。迷子の子供が一人。構内をガードしている武装警官が行く手を見守る。駅案内所に誘導。列車(ディーゼル車)は、けたたましいエンジン音をたて、まるでジェットエンジンのよう。黒煙が高い天井に抜けていく。



ここで問題なのが、どのプラットホームから列車が出るのか、さっぱり分からない点。アナウンスはあるみたいだが、アラビア語でまったく理解できず。これも人に聞くしかない。目の前の4番線からとのこと。
やっとやってきた列車は、それほど高速で走るように見えない。「これが高速鉄道か・・・」。列車は、沿線の畑や民家を通り抜けていくが、全体的に貧しい印象を受ける。崩れかけた廃墟のようなアパートもあった。日本は、建設業が振るわないということで苦しんでいるが、ひょっとすると、海外に出れば巨大なチャンスが眠っているのかもしれない。

2時間30分かけてアレクサンドリアに到着した列車を降り、タクシーで予約しているホテルLe Metropoleに向かう。フロントでバウチャーを見せたら、キャンセルされているという。前日にFAXで延着を連絡していたが、その連絡がホテルに届いていないのだという。ここで押し問答を続けていても、疲れ果てた私は圧倒的不利なので、代替のホテルParadise Inn Maamuraに向かうことにする。ただし、このホテルは会議場から離れすぎていて、使い物にならない。それに、目の前にプールがあり、プライベートビーチがあるという、遊び人向けの仕様。完全に浮いている。



今晩一晩だけにしよう。とにかく、疲れた。

エジプトのレンガ造りの建物の屋根には、針金むき出しの柱らしきものが立っている。将来の増築を考慮しているのか・・・。
耐震性は大丈夫なのか、地震はないのか。ただ、ファロスの灯台は地震で倒壊したという。

エジプト旅行 2010.6.26 見切り離陸

翌朝、成田空港の運用時間を理由に出発できなかったという話を信じて、早めに起きる。しかし、航空会社からは何の連絡もない。
ドーハで10時間のトランスファーの余裕があるので、朝一番で出発すれば、乗り継ぎ便に間に合うのに。

やっと、カタール航空の南ウィングJカウンターに12:00集合がかかったので行ってみると、「出発の時刻は未定」という。単に、1,000円のミール券を配っていただけ。

ミール券を配るのにパスポートをチェックするか?

カウンターでは何の情報も得られず、15:00にアナウンスがあるという話の一点張り。やむなく昼食をとり、15:00にもう一度Jカウンターに行ってみるが、係員は誰もいない。

カタール航空、にげた。

16:30まで誰も現れず、空港内インフォメーションの内線電話からカタール航空の担当者と話をする。依然として出発の見込みは立っておらず、私の場合ドバイ経由のとんでもなく時間のかかるルートが提示された。(成田→ドバイ→ドーハ→アレクサンドリア)
当然これでは会議に間に合わないので、ANA/エジプト航空のバンコク経由カイロ行きを使わせてくれるよう依頼する。折り返しの連絡をもらうため、携帯電話番号を知らせたが、結局電話は無かった。

同時に、エジプト行きを間に合わせるため、自前でANA/エジプト航空便を当日予約した。302,000円なり。カタール航空の振り替えができるのかどうか、まったく不明のまま、出発の時間が迫ってきたため、搭乗する決心をする。
ちなみに、当日予約のため正規料金。そのためかどうか、ANAラウンジが使えるという・・・。

ANA便は予定通り、何のトラブルもなく離陸した。これが普通なんだけど。

ところで、今日は部分月食が見られる日。昨日からばたばたしていたので、すっかり忘れていたが、飛行機の窓から月を見て、左側が欠けていることに気づく。食分はそれほど大きくないようだが、この月が半周してイースター島の皆既日食を起こすと思うと、感慨深い。

2010/6/27部分月食
航空機から見た部分月食。下の光は航空灯。

ちなみに、スペインで、セビーヤ(セビリア)からバレンシアに飛行機で飛んだとき、窓から見た雲の海にかかる月が幻想的で美しかったのを思い出すが、天文現象を飛行機から見たのは、今回が始めてである。

月食は終わった。いま、月に22度ハローが出ている。

ところで、カタール航空QR802便に乗り込んで、降ろされることになったとき、機長のアナウンスで「成田空港の運用時間(23時まで)を過ぎたため」と、まるで成田空港会社が原因であるかのような説明だった。これが事実とすれば、翌朝一番で飛べばよいものを、翌日16時30分になっても飛ぶ気配がない。これは、自社の責任を回避しようとする方便だったのではないかと疑わせる。
その後、「夜を徹して作業したが、交換した部品が不良だった」「ドバイから部品を取り寄せて取り付けた」という情報を得ました。
ということは、欠航せざるを得ないのはかなり早い段階で分かっていたわけです。

2010年7月5日月曜日

エジプト旅行 2010.6.25 ドーハの悲劇

今回は、エジプトのアレクサンドリアで開かれる国際会議に出席するため、成田→ドーハ(カタール)→アレクサンドリアという経路でカタール航空のフライトを予約した。
成田空港に到着したとき、予定のフライトの出発が「到着便遅れのため」という理由で1時間遅い時刻に設定されていた。出発ゲートに着いたら、今度は1時間30分遅れだという。
それでも、22時には飛行機に搭乗した。ところが、いつまでたっても出発しない。機長のアナウンスで、整備中だという。「重要な部品のコンピュータが壊れて、交換中」とのこと。

機内では、出発もしていないのに「お食事」が配られる。

さらに機長から、「部品の交換作業を進めているが、成田空港の運用時間を過ぎてしまったため、飛べないかもしれない」というアナウンスがあった。

結局、日付が変わる直前、飛行機から降ろされることになった。出国の取り消しをして(パスポートの出国のスタンプの上にVOIDというスタンプが押される)、カタール航空の用意したホテル(マロウドインターナショナルホテル)に1泊することに。すし詰めの車で“送迎”される・・・。

ちなみに、地上スタッフに聞いても、翌日のフライトの情報は何も持っていないようであった。当然、乗り継ぎ便とどう接続するのかも不明。携帯電話の番号をメモして渡した。

エジプト旅行

先週、会議出席のため、始めてエジプトに行きました。とんでもないことになったわけですが、その顛末を何回かに分けて、書いてみようと思います。