2007年1月8日月曜日

屋根の下で暮らす権利

フランスでは、“屋根の下で暮らす権利”を法的に保障しようとする動きがあります。日本では考えられない発想です。日本は、ここ数年で弱肉強食の自由主義的思想(「新自由主義」かも)が席巻していますから、政府も「ホームレスになるのは本人の努力が足りないせい、チャンスをやるからがんばれ(再チャレ)」という政策です。日本はアメリカの思想をほとんど100%受け入れていますから、この考え方を誰も不思議に思わないと思いますが、それが“グローバル・スタンダード”だと思ったら大間違い(もちろん、世界にはアメリカと日本と、それ以外の国しかない、という考えの人は除く)。

日本人は、「自由」と「平等」についてもう一度見直してみるべきと思っています。

Le Monde
Les campements de SDF continuent d'essaimer, Villepin espère une solution "dans les prochaines heures"
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3226,36-852806@51-837375,0.html

2 件のコメント:

  1. 日本だって、誰にでも“屋根の下で暮らす権利”は有るでしょ。
    政治に参加する権利だってある。
    フランスが国民に最低限の家を支給するって言う福祉の話でしょ。
    それだけホームレスの問題が深刻なんでしょ。
    フランスの「自由」と「平等」の考えが日本のそれより優れているとは思わないし、アメリカ=日本とも思わない。今までアメリカと違っていたものが不景気をきっかけに振り子がアメリカ側に振れただけ。恒久的な物では無いと思うけど。

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  2. 「それは福祉の話」という発想が既にアメリカ=日本的なんです。少なくともヨーロッパでは“福祉の話”とは考えられていない。(もちろん、ヨーロッパ人全てが、とは言いませんが)
    日本はアメリカとどこまでも、という人はいいのですが、そうでない人は“非グローバル・スタンダード”な話題もウォッチしておくべきと思いました。
    【補足】
    細かな議論を端折って乱暴に説明すると、日本やアメリカの考える福祉は少なければ少ないほど良い、つまり究極は0が良いというもの。ヨーロッパで「福祉」と翻訳されるものは、多くてもかまわないし、0なんてあり得ない、というものです。(その意味で、日本人が使っている「福祉」とは違う概念)
    日本では、子どもたちがホームレスを襲撃する事件は起こっても、「ホームレスの暮らしを体験してみよう」などと考える人はいないし、賛同する人もいないということです。

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