出張で3日間、前橋に行っていました。出張の際の現地のゴハンは、息抜きに良いものですが、今回の前橋はハズレがありませんでした。
調べてみて、夜早くしまっていたり、日曜日は営業していなかったりと、第一選択肢には行けなかったところもありましたが、第二の選択、第三の選択にも、間違いが無かったです。
ただ、少々食べ過ぎです・・・。
2015年6月10日水曜日
2015年6月1日月曜日
年金情報流出
125万件もの流出には呆れるばかりです。ただ、注意喚起してほしいのは、“流出対策詐欺”です。
「あなたの年金情報が流出しました、つきましては、年金番号を変更しますので、あなたの(古い)年金番号 、住所、電話番号、(年金受け取りの)銀行口座・・・を教えて下さい」
などという文書が送られてきたり、電話がかかってくる危険性は無いでしょうか?
「あなたの年金情報が流出しました、つきましては、年金番号を変更しますので、あなたの(古い)年金番号 、住所、電話番号、(年金受け取りの)銀行口座・・・を教えて下さい」
などという文書が送られてきたり、電話がかかってくる危険性は無いでしょうか?
2015年5月19日火曜日
2015年5月1日金曜日
Plalaのセキュリティー
Plalaのプライベートホームページで、cgiサービスのセキュリティーを強化すると称して新しいサーバーに移行した(らしい)のですが、Apacheの設定がデフォルトのままで、index.html(等)が無い場合ファイル一覧が表示されるようになっています。
ファイル一覧表示を抑止するのは、セキュリティー対策のイロハのイですが、何とも呆れた話です。
ちなみに、この事実をサポートに伝えましたが、緊張感の全く感じられない対応でした。
ファイル一覧表示を抑止するのは、セキュリティー対策のイロハのイですが、何とも呆れた話です。
ちなみに、この事実をサポートに伝えましたが、緊張感の全く感じられない対応でした。
2015年4月30日木曜日
EOS用マグニファイヤー
2015年1月9日金曜日
プランC
2014年10月にリリースされた、Coccoの『プランC』を聴いています。
これほど分からないアルバムは始めてかも知れません。
Coccoの曲の分かり難さと言うなら、強烈な詩と対立的に美しいメロディーのコントラストですが、前々回のアルバム『エメラルド』で一つの完成形を迎え、分かりやすく変貌しました。
おそらく敢えて封印していたであろう沖縄らしさが随所に感じられ、Coccoの生まれた沖縄の音楽の系譜として聴くことができたのです。もちろん、Coccoらしく、所々に“毒”が仕込まれていることは間違いありませんが、それでも「安心感」はありました。
それに対して、今回のアルバムの分かり難さは、種類が違います。ジグゾーパズルのピースがどうしてもハマらないとか、ゲームの上海が解けないとか、そんな印象です。
リリースから約3ヶ月ほど聴いて、次の結論に至りました。
おそらく、この世に、「この人でないとできない」 ということは無い。おそらく、「この人」がいなくても、「別の人」が「この人」に代わって、「この人」がやるはずだった仕事をするに違いない。
私の仕事だって、おそらく私がいなければ他の人が担当しているはずです。
しかし、「 この人」の“味”は絶対に真似ができません。
Coccoがダンサーになっていたら、どうだったのか、舞台をやることの意義はどこにあるのか、Coccoが音楽をやることは良かったのか・・・。そんなことは誰にも分かりません。分かりませんが、今のCoccoの活動は、その全てにCoccoの“味”を感じます。
おそらく、私の仕事だって、私の“味”があるに違いない。
「プランC」とは、「別の人」がやったかもしれない仕事を「この人」がやったからこそできた“味”を垣間見せるもの、ということなのです。

これほど分からないアルバムは始めてかも知れません。
Coccoの曲の分かり難さと言うなら、強烈な詩と対立的に美しいメロディーのコントラストですが、前々回のアルバム『エメラルド』で一つの完成形を迎え、分かりやすく変貌しました。
おそらく敢えて封印していたであろう沖縄らしさが随所に感じられ、Coccoの生まれた沖縄の音楽の系譜として聴くことができたのです。もちろん、Coccoらしく、所々に“毒”が仕込まれていることは間違いありませんが、それでも「安心感」はありました。
それに対して、今回のアルバムの分かり難さは、種類が違います。ジグゾーパズルのピースがどうしてもハマらないとか、ゲームの上海が解けないとか、そんな印象です。
リリースから約3ヶ月ほど聴いて、次の結論に至りました。
おそらく、この世に、「この人でないとできない」 ということは無い。おそらく、「この人」がいなくても、「別の人」が「この人」に代わって、「この人」がやるはずだった仕事をするに違いない。
私の仕事だって、おそらく私がいなければ他の人が担当しているはずです。
しかし、「 この人」の“味”は絶対に真似ができません。
Coccoがダンサーになっていたら、どうだったのか、舞台をやることの意義はどこにあるのか、Coccoが音楽をやることは良かったのか・・・。そんなことは誰にも分かりません。分かりませんが、今のCoccoの活動は、その全てにCoccoの“味”を感じます。
おそらく、私の仕事だって、私の“味”があるに違いない。
「プランC」とは、「別の人」がやったかもしれない仕事を「この人」がやったからこそできた“味”を垣間見せるもの、ということなのです。
2015年1月1日木曜日
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