買ってから1年と数日経ったノートパソコンのACアダプターが壊れたけど、パーツが入手できない(メーカーで売っていない)というのは如何なものか。
某所に問い合わせたら、「それはメーカーの方針次第なので、どうこう言える立場にない。」と門前払いされた。
ちなみに、当該メーカーは日本のパソコン出荷シェアでトップ3、ノートパソコン出荷シェアでトップ5に入る、名の知れた会社である。
買ってから1年と数日経ったノートパソコンのACアダプターが壊れたけど、パーツが入手できない(メーカーで売っていない)というのは如何なものか。
某所に問い合わせたら、「それはメーカーの方針次第なので、どうこう言える立場にない。」と門前払いされた。
ちなみに、当該メーカーは日本のパソコン出荷シェアでトップ3、ノートパソコン出荷シェアでトップ5に入る、名の知れた会社である。
宙わたる教室 第5話「真夏の夜のアストロノミー」で、「関東高校生科学研究コンクール」へのエントリーが“門前払い”されたのは「定時制高校のエントリーの前例がない」=「定時制高校の奴らはロクでもない」=「資格がない」という解釈で物語が進んでいました。
ただ、私は定時制高校にはドラマに描かれているように社会人の生徒もいて、知見や経験のある大人が混じっている定時制高校には“ちょっと優秀な高校生”程度では太刀打ちできないという「恐怖」(表向きの表現を使えば「公平性の観点」)が背景にあると感じました。
高校生の彼ら彼女らが戸板に水の如く研究成果を語る様子からは、確かに正確でもっともらしい話ではあるものの、薄っぺらさを感じざるを得ませんでした。
それはおそらく、正解が分かっている問題をなぞっているだけの人たちと、誰も見たことのない課題にチャレンジする人たちの違いだと思います。
それにしても、「真夏の夜」という設定なのに見えているのが冬の星座というのはいただけない。望遠鏡で覗いた視野に星座が丸ごと入っているというあり得ないシーンも非現実的。良いドラマだけに、ディテールには拘って欲しいものです。