2015年7月18日土曜日

華やかなオリンピック

国立競技場の建設計画が(ゼロベースで)見直されることが決まりました。

これを受けて、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森氏が「この国は2千数百億円程度の国家予算も出せないのか」という趣旨の発言をされていました。

日本のマスコミは、北京オリンピックやロンドンオリンピックの時も、ブラジルワールドカップの時も、華やかな祭典の影でひっそり暮らす貧しい人々・・・という図式の報道をしていました。

「まさかこの日本では」と対岸の火事のようにほとんどの人が思いながら観ていたのだと思いますが、日本の貧困率の悪化、ワーキングプア、子どもの貧困などの問題は今ある危機です。

諸外国のマスコミで、華やかな東京オリンピック・パラリンピック2020の影で、ひっそり暮らす貧しい日本人・・・という報道がなされないことを切に願います。

2015年6月10日水曜日

前橋の食

出張で3日間、前橋に行っていました。出張の際の現地のゴハンは、息抜きに良いものですが、今回の前橋はハズレがありませんでした。

調べてみて、夜早くしまっていたり、日曜日は営業していなかったりと、第一選択肢には行けなかったところもありましたが、第二の選択、第三の選択にも、間違いが無かったです。

ただ、少々食べ過ぎです・・・。

2015年6月1日月曜日

年金情報流出

125万件もの流出には呆れるばかりです。ただ、注意喚起してほしいのは、“流出対策詐欺”です。

「あなたの年金情報が流出しました、つきましては、年金番号を変更しますので、あなたの(古い)年金番号 、住所、電話番号、(年金受け取りの)銀行口座・・・を教えて下さい」

などという文書が送られてきたり、電話がかかってくる危険性は無いでしょうか?

2015年5月19日火曜日

火星のジャングル大帝

来月の展示会に向けて、機器の設定とソフトの調整を行うため、Google Earthで火星を散策していたら、火星表面にジャングル大帝の模様を見つけました。

2015年5月1日金曜日

Plalaのセキュリティー

Plalaのプライベートホームページで、cgiサービスのセキュリティーを強化すると称して新しいサーバーに移行した(らしい)のですが、Apacheの設定がデフォルトのままで、index.html(等)が無い場合ファイル一覧が表示されるようになっています。

ファイル一覧表示を抑止するのは、セキュリティー対策のイロハのイですが、何とも呆れた話です。

ちなみに、この事実をサポートに伝えましたが、緊張感の全く感じられない対応でした。

2015年4月30日木曜日

EOS用マグニファイヤー

昨日(4/29)、予約注文して入手していたEOS用のマグニファイヤーMG-Ebを、現場で初めて使いました。特に問題は無かったのですが、「そもそも、最初からこの倍率でファインダーを設計すればいいのでは?」と思ったのは、私だけではないはずです。

キヤノンマグニファイヤーMG-Eb

2015年1月9日金曜日

プランC

2014年10月にリリースされた、Coccoの『プランC』を聴いています。

これほど分からないアルバムは始めてかも知れません。

Coccoの曲の分かり難さと言うなら、強烈な詩と対立的に美しいメロディーのコントラストですが、前々回のアルバム『エメラルド』で一つの完成形を迎え、分かりやすく変貌しました。

おそらく敢えて封印していたであろう沖縄らしさが随所に感じられ、Coccoの生まれた沖縄の音楽の系譜として聴くことができたのです。もちろん、Coccoらしく、所々に“毒”が仕込まれていることは間違いありませんが、それでも「安心感」はありました。

それに対して、今回のアルバムの分かり難さは、種類が違います。ジグゾーパズルのピースがどうしてもハマらないとか、ゲームの上海が解けないとか、そんな印象です。

リリースから約3ヶ月ほど聴いて、次の結論に至りました。

おそらく、この世に、「この人でないとできない」 ということは無い。おそらく、「この人」がいなくても、「別の人」が「この人」に代わって、「この人」がやるはずだった仕事をするに違いない。

私の仕事だって、おそらく私がいなければ他の人が担当しているはずです。

しかし、「 この人」の“味”は絶対に真似ができません。

Coccoがダンサーになっていたら、どうだったのか、舞台をやることの意義はどこにあるのか、Coccoが音楽をやることは良かったのか・・・。そんなことは誰にも分かりません。分かりませんが、今のCoccoの活動は、その全てにCoccoの“味”を感じます。

おそらく、私の仕事だって、私の“味”があるに違いない。

「プランC」とは、「別の人」がやったかもしれない仕事を「この人」がやったからこそできた“味”を垣間見せるもの、ということなのです。