2015年1月9日金曜日

プランC

2014年10月にリリースされた、Coccoの『プランC』を聴いています。

これほど分からないアルバムは始めてかも知れません。

Coccoの曲の分かり難さと言うなら、強烈な詩と対立的に美しいメロディーのコントラストですが、前々回のアルバム『エメラルド』で一つの完成形を迎え、分かりやすく変貌しました。

おそらく敢えて封印していたであろう沖縄らしさが随所に感じられ、Coccoの生まれた沖縄の音楽の系譜として聴くことができたのです。もちろん、Coccoらしく、所々に“毒”が仕込まれていることは間違いありませんが、それでも「安心感」はありました。

それに対して、今回のアルバムの分かり難さは、種類が違います。ジグゾーパズルのピースがどうしてもハマらないとか、ゲームの上海が解けないとか、そんな印象です。

リリースから約3ヶ月ほど聴いて、次の結論に至りました。

おそらく、この世に、「この人でないとできない」 ということは無い。おそらく、「この人」がいなくても、「別の人」が「この人」に代わって、「この人」がやるはずだった仕事をするに違いない。

私の仕事だって、おそらく私がいなければ他の人が担当しているはずです。

しかし、「 この人」の“味”は絶対に真似ができません。

Coccoがダンサーになっていたら、どうだったのか、舞台をやることの意義はどこにあるのか、Coccoが音楽をやることは良かったのか・・・。そんなことは誰にも分かりません。分かりませんが、今のCoccoの活動は、その全てにCoccoの“味”を感じます。

おそらく、私の仕事だって、私の“味”があるに違いない。

「プランC」とは、「別の人」がやったかもしれない仕事を「この人」がやったからこそできた“味”を垣間見せるもの、ということなのです。